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〒065-0016 札幌市東区北16条東1丁目3-15

ひまわりの絆プロジェクト

 ひまわりの絆プロジェクトとは

 樹木が色づき始めた平成23年11月、京都府内に住んでいた当時4歳の男の子が、「にいに(兄)の
ところへ行く」と言って家を出ました。前日足を骨折していた母親は、子どもについて行くことができなかったため、「端っこを歩きなさいよ。」と声掛けをしましたが、これが最後の言葉となりました。
 自宅から、わずか200mの所で、背後から重さ2トンの大型SUVに押しつぶされたのです。
 男の子はちゃんと道路の右端を歩いていました。1時間半後に一つの命の灯火が消えました。

 この交通事故を担当した木津警察署の交通課で勤務するS警部補(当時巡査部長33歳)は、霊安室で変わり果てた我が子と対面する両親を目の当たりにしました。
 横たわる男の子、泣き崩れる母親、気丈に妻を抱える父親…
 S警部補の目からも止めどなく涙が溢れ出てきました。
 捜査経過の説明のため、後日、S警部補は被害者遺族宅を訪問しました。仏壇に手を合わせたとき、男の子の生前の写真が多く飾られているのを見て、S警部補は、また自然と涙が溢れてきました。このとき母親から
      「霊安室でも泣いてくださっていましたね。
       本当にありがとうございます。」
との言葉がありました。息子のために涙する警察官に感謝されていたのです。
 懸命な事故捜査により、車を運転していた被疑者は自動車運転過失致死で起訴され、初犯であるものの検察庁の求刑1年4か月を上回る「禁固1年6か月、執行猶予なし」という異例とも言うべき実刑判決が言い渡され、確定しました。

 しかし、母親は、「私が一緒に付いて行っていたら。」「私が怪我をしていなければ。」「私のせいで息子は死んでしまった。」と、そのショックの大きさは計り知れないもので、精神的に大きなダメージを負ってしまいました。
 当時、警察署の被害者支援要員でもあったS警部補も、本部犯罪被害者支援室、公益社団法人京都犯罪被害者支援センターと連携し、葬儀対応、臨床心理士によるカウンセリングなど、長期に亘り、親身になった遺族支援を行いました

 そうした中、裁判が終わったその夏、S警部補が遺族宅を訪れたとき、遺族宅の庭に大きなひまわりが咲いていました。そのひまわりについて母親から
 「息子が事故に遭う前、幼稚園で育てていたひまわりの種を小さい手いっぱいに握りしめ、自宅に持ち帰ってきていたもので、来年は一緒に植えようねと話していたもの。
 生きていた証の形見と思い庭に植えたものです。」
と聞かされました。

 平成25年春、S警部補が人事異動の挨拶で遺族宅を訪問したとき、御両親から
 「息子が生きていた証を残したい。このひまわりがあちらこちらで咲けば、息子もいろんな所へ行けると思う。もう事故は嫌です。」
と、ひまわりの種を託されました。
 こうして、男の子が生きていた証を残したいと願う遺族の思いと、交通死亡事故根絶の強い願いが「ひまわりの種」となって引き継がれ、その夏、S警部補が自宅に大きなひまわりを咲かせたのです。

 翌平成26年3月、S警部補は亀岡警察署に異動となり、転入者スピーチで男の子やひまわりのことについて話したところ、亀岡市でも平成24年に集団登校の列に無免許の少年が運転する車が突っ込み、死傷者多数の事故が発生していたこともあり、署員からの
 そのひまわりを育てて、亀岡から命の大切さや交通事故防止を発信しよう
という言葉をきっかけに、署前の花壇にひまわりの種をまくこととなりました。
 亀岡署では、署員一丸となって肥料や水やり等の世話を行い、その夏、高さ2メートルもの大きなひまわりを咲かせました。

 このようにして、男の子のひまわりの種は亀岡署で大輪の花を咲かせ、たくさんの種が採れた訳ですが、この取組をもっと大きく広げ、命の大切さと交通事故防止を府民に訴えたいの思いから、亀岡署から本部犯罪被害者支援室がひまわりの種の引継ぎを受け、「ひまわりの絆プロジェクト」を始めまし
た。
 そして、亀岡警察署を除く府下24全ての警察署や警察学校、多くの府民が訪れる運転免許試験場や警察病院等にひまわりの種を配布し、夏には本部は元より全ての警察署で見事な大輪の花を咲かせることとなりました。

 東署ひまわり成長日記

 平成30年から、札幌方面東警察署もこのプロジェクトに参加することになりました。その成長を記録しています。

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